京都名越家にて金工技術を習得した初代鈴木忠兵衛が、南部家の鋳物師として召し抱えられました。元和二年(1616年)の給与記録に”二駄三人扶持”との記載が有り、記録が残るこの年を創業年としております。
南部家12代当主南部政行が三戸の熊原川に木金橋(黄金橋)を掛けた際、後村上天皇からの恩賞として京都の擬宝珠を模す事を許され、鈴木家鋳造の擬宝珠が取り付けられました。
文政11年(1828年)には、時代の要請により埼玉県川口で大砲二基の製作に参加。当時の図面などの記録が残っております。
世界遺産に登録された橋野鉄鉱山では、大島高任等とともに高炉長として日本式洋式高炉築造に従事し、安政4年(1857年)に鉄鉱石の溶解に成功しました。
明治17年(1884年)の盛岡大火にて工房を消失するも現在の生姜町に同業仲間と共に再建しました。
以下、系譜です。
初代 1616 鈴木忠兵衛 越前守藤原家綱家久 京都で金工技術を習得。青森県三戸町考古館蔵の湯釜「松風」等が現存する。
二代 1655~ 鈴木忠左ェ門(家次) 盛岡城棲鐘を初代忠兵衛と製作、現在花巻市指定文化財として保存されている。
三代 1702~ 鈴木八郎兵衛
四代 1743~ 鈴木忠七
五代 1783~ 鈴木忠七(利介) 鞍馬流剣術指南として南部家に仕えた後、家職を継ぐ。岩手県大迫町文化財の大灯篭が現存する。
六代 1818~ 鈴木忠七(弾右衛門)
七代 1828~ 鈴木忠七 (辰之助) 時代の要請で総長7尺、玉径三寸五分の大砲二基を製作。釜石橋野の日本式高炉築造に徳川家公儀御用鋳物師として出仕。
八代 1865~ 鈴木徳次郎
九代 1867~ 鈴木忠七
十代 1910~ 鈴木徳之助 米国コロンブス世界博覧会に出展、受賞。
十一代 1955~ 鈴木忠兵衛 宮内庁献上品花瓶製作。日蓮正宗総本山大石寺 茶の湯釜製作。
十二代 1985~ 鈴木忠兵衛 (康平) 第5回伝統工芸品展受賞。雅子妃殿下御成婚記念品作成。
十三代 2010~ 鈴木忠兵衛 (忠一郎)
1600年代からおよそ400年にわたり、その時々の時代の要請、求められる仕事に携わりながら鋳造技術を伝承し、現在も日々精進しております。